街歩き+喫茶(時々映画)

差別論研究会から、新たに街歩きBlogへ

大船

所用があり、鎌倉・大船へ。何もないといえば、何もないですが、松竹大船撮影所跡には一度行けなくてはいけないと思い、訪れました。数か所に、「松竹」という文字が含まれた通りや看板が散見されました。

鎌倉女子大学が建設された土地に撮影所は拡がっており、また、芸術館という建物が1990年代初頭に建設されていました。土曜日ということもあって、大船市民が、サークル活動等で朝から集っていました。閑静といえば閑静ともいえます。

所内にあった壁画と、昭和11年に撮影所によって植樹された桜の木と碑を確認してきました。しかし、これだけではないだろうと思いつつ……

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尼崎(2)

大庄から今北に向かい、さらに、水堂を通り、最後は武庫之荘。武庫之荘総合センターの展示によると、改良事業が行われた1973年頃。新田の開発に従事させられた被差別民に由来するということだったのですが、その頃は、尼崎藩政。

被差別部落の位置取りに関しては、旧城内小学校にある文化財収蔵庫には古代から近代までの資料が揃っています。その展示からは、なかなかに、近世と近代の関係が分かりにくく、その点は、自ら調べないと分かりそうありませんでした。そして、武庫川の向こうは西宮。甲子園口からJRに。30,000歩近い一日が終わります。

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尼崎(1)

昨年に続き、再び、尼崎。主に住宅地区改良事業が行われた地域を中心に、競艇場の北側を歩いて、灼熱の太陽の下、汗をかきかき、水を飲み飲み。京都よりは涼しいかなとたかをくくっていました、そう甘くはなかった。

沖縄出身者や在日朝鮮人の人々が少なくないこの地域は、改良住宅に彼らが入居していることが分かります。しかし、同和行政とは異なり、かつての状況を知ることは容易ではありませんでした。一方で、古い戸建てや古い二階建てアパートが実に多い。もちろん、綺麗な住宅も多かったのですが、その混在ぶりが印象的でした。

兵庫朝鮮学園尼崎初中級学校では、夏休みが終わっているのか分かりませんでしたが、中学生たちがクラブ活動に励んでいました。周囲は、戸建て住宅と川に囲まれています。

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今日の喫茶(139)

さて、阪神大物駅は、城下に運ぶ多くの木材が集まったことから、その大きな物資にちなんで「大物」となっているようです。朝に入った「ぶーけ」というお店で、自称86歳のおじいさんが突然絡んできて、教えてくれました。太平洋戦争前の芦屋がいかに貧乏だったかを強く強調していました。芦屋出身だそうです。

モーニングが450円、アイスコーヒーが400円。あまり変わりませんね、朝は。駅構内に入っているお店の多くが休業していました。なんとも言えない寂れ具合です。そこから、ユニチカの本社屋、尼崎城跡、警察署跡、さらに、日本地図を模した大物公園など。そこから、さらに、西へ。

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今日の喫茶(138)

やはり、京都は暑い。むやみに喫茶店に入ってしまいます。右京区役所の1階に入っている「カフェポムグラ」に。17時半と閉まるのは早いですが、以外に使えそうな場所かもしれない……と、率直な感想です。

ポムグラ














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今日の喫茶(137)

しばらく、信州に。安曇野から松本へ。松本駅でわざわざ「チェーン店ではない喫茶はないか」と聞いて、教えてもらったお店が休み……少し裏道に入ったところにある「あぜ道」というお店に。銅器で出てくるアイスコーヒーが味わい深かった。

浅間温泉は、信州大学のすぐ北東側。温泉場な訳ですが、横田遊廓は、これより南に下がったところにあります。一方、現在の風俗街、特に中国系の女性たちが集まっているのは、国道の裏側にある「うら町」。お寺に通ずる道にスナックがひしめきあったりもしていますし、呼びこみも当然ありました。

他方、朝鮮初中級学校は市街から駅の西側、県道のさらに奥まったところに移転したようです。朝鮮人が住んでいたところは「川堤」と呼ばれていたようで、戦時動員で労働力として集められた人々のバラックがひしめき合い、形成されていったとのこと。

あぜ道















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松本

松本を知人に案内して頂きました。いろいろと周らせて頂き、大変、勉強になりました。安曇野が一番、外国人研修生が多いようで、道すがら、外国人労働者にも出会いました。

松本では、松本城を中心に、市街をまわりながら、以下の司祭所や渡来人倶楽部の方が経営している焼肉屋などが、魅力的でした。民団本部、カトリック教会、日本基督教団などを訪れ、次はぜひ、長野朝鮮初中級学校や浅間温泉の南にある旧横田遊廓にも訪れてみたいと思っています。

渡来人倶楽部は、渡来人まつりというのを主催しているそうです。
http://tryjin.jpn.org/


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樺太1945年夏――氷雪の門

1974年8月(製作=JPM、配給=東洋映画)の作品です。総指揮は三池信・小倉寿夫、製作は望月利雄・森田康司、企画は高木豊、監督村山三男、脚本は国弘威雄、原作は金子俊男、美術に木村威夫が入っています。

ソ連の圧力によって封印された幻の作品。そんな謳い文句はさておき、サハリンをどう描いているのか。それが気になり、みなみ会館まで。久しぶりです。9人の電話交換手の女性たちが、停戦協定にもかかわらず、侵攻し、多くの民間人が帰還するなか、最後の一本の電話を交換し切るまで現地に留まり、最後は、青酸カリで自ら命を絶つまでの「レポート」。8月15日の玉音放送をもっては、戦争は終わらなかった。サハリンの占領を目的としたソ連軍は、敗戦国に国際法は適用されないと豪語し、降伏と停戦の趣旨を説明にしてきた日本軍をその場で射殺。

前線では、降伏に向けた本部の意向で、包囲し始めていたソ連軍に攻めるに攻められず、現場の緊張感と苛立ちは高まります。そこには若き若林豪。その帰りを待ちながら、祝言を挙げただけであるものの、自らは交換台の班長として、動揺する交換手を統率する二木てるみ。そんな二人の恋心も描きつつ、その姉である南田洋子は三人の子どもたちを抱え、急いで、妹や母親のいる真岡に戻ってこようとします。しかし、その途中で、二人の息子を射殺され、自らも国境を超えて、南進してきたソ連兵に射殺され、再び、家族の顔をみることができなかったのです。夫である田村高廣も、ある少年を助けようとして、一瞬にして命を落とします。



既に、8月15日を過ぎています。終わらない戦争。持続する殺戮。現地の師団長は島田正吾、参謀長は丹波哲郎。彼らは、現場を度外視する中央の方針に怒りをぶつけながら、とにかく徹底して屈しないことだけを命じます。さらに、民間人の帰還を促します。しかし、その第二便も、魚雷によって沈没。サハリンは完全に包囲され、絶体絶命のなかで、多くの日本人が自決していきます。そして、容赦のないソ連軍。前年の10月は日ソ共同声明が出ており、平和条約締結に向けた動きが生れ始めていました。「封印」の原因はここにあるのでしょう。国家間に翻弄された人たちの生き様が、なお、20年経っても、再び国家間の力学によって日の目をみなかった。

しかし、同じ1963年に、この氷雪の門は稚内市内に建てられ、9人の電話交換手にはで1973年3月に勲八等宝冠章が与えられている。ナショナル・アイデンティティの構築と、社会主義圏との平和共存路線の両立の時代。一番の関心は、ソ連に残ったコリアンの人々が描かれているどうか。彼らは、その後、社会主義的人間として改造され、「忘れ去られた人々」となった。日本による戦後補償がなされるのは、1980年代末。そのことを知る人も数少ない。一方で、二木てるみや藤田弓子に見られるように、この土地に生れ、育った人々にとっての「故郷」とは何か。疎開のためにやってきたこの土地。日露戦争の際に締結されたポーツマス条約により分割支配に置いた日本領土。しかし、現在はサ条約にソ連が調印していないため、「所属未定地」。しかし、そこには、コリアンだけでなく、アイヌのほか、他の民族の人々も住んでいた。その点は映画では描かれていない。

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美姉妹 犯す

1982年1月(製作=にっかつ)の作品です。プロデューサーは三浦朗、企画は成田尚哉、監督は西村昭五郎、脚本は佐治乾・瀬山節雄です。


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仁寺洞/insadong(Seoul)

さて、数年ぶりに韓国に。一応、名目は「仕事」です。観光地の一つである仁寺洞に訪れましたが、旧い「韓屋」が、ところどころ、未開発のところに残っており、小さな路地なども多く、古街としての面影を残していました。

これもまた、観光資源になっていることを思うと、少々複雑ですが、一回で判断はできないので、もっと、詳細な観察が必要です。「Red Mango」なるチェーン店に入り、満席のなか楽しむカップルに圧力をかけ、4人分の席を分捕ってしまいました。申し訳ないです。

韓国では、珈琲はしばしば「アメリカン」が出てくるのが特徴で、その点のみ、京都が恋しかった気がします。

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松竹座・戎橋

千日前線沿の道をうろうろしながら、かつて一ヶ所に集められた墓地、刑場と火葬場があったことを感じられる何かがあるか、きょろきょろしていたのですが、もう少し下調べが必要でした……。松竹座、戎橋、人がごった返し、段々と暑くなってきたので、さすがにしんどくなってしまいました。

目的地は、日本橋から堺筋線を下がってグランド花月側(西)に少し入ったところに、かつての町名が残っているようです。難波5丁目が現在の地名で、中央区と浪速区の境目。かつては南区に編入されていた頃もありますが、西成郡下難波村であった頃から、遡り、大空襲も踏まえながら、もう少し踏査を続けたいと思います。それにしても、いちいち人や建物がケバケバしいので、疲れます。とはいえ、やはり、歩くのが基本。基本に戻ろう。

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八条坊門 楽市・洛座Ⅰ

崇仁地区での初の試み。かつては「柳原町字八条坊門」といわれた八条通北側に、国道24号線とされている南北を貫通する道路整備計画が提起されてから100年を経てようやく完全開通。上には踊り場ができました。たまに、お昼に日向ぼっこするのですが、さすがにこの時期は暑かった。ところが、今回は雨でした。楽市楽座は、予定より1時間早く終わりました。

東九条から、希望の家やのぞみの園などが参加。新たな交流も意識され、まちづくりのさらなる一歩を画したように思います。

それに関連して、こちらもアップしています。
◇2010/06/12 「部落解放運動の過去・現在・未来(5)――山内政夫氏(柳原銀行記念資料館)に聞く」(インタビュー記録)
http://www.arsvi.com/2000/1006yt.htm

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http://suujin.org/yanagihara/

■KYOTO★R24
~八条坊門 楽市・洛座I~
2010年6月13日(日)午前10時~午後3時
 
場所:楽洛ひろば
 (柳原銀行記念資料館前 国道上広場)
【楽市】
 ・フリーマーケット
 ・模擬店
【洛座】
 ・お囃子会 ・ハンマダン
 ・和太鼓 ・サンバ
 ・吹奏楽 ・バルーンアート
 ・京炎そでふれ!
 ・下京消防署 起震車体験ゲーム
その他多数。

主催:楽市・洛座実行委員会

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はるき悦巳『じゃりン子チエ』

はるき悦巳『じゃりン子チエ』

 私が物心ついたとき、アニメーション『じゃりン子チエ』が、金曜夜7時から放送されていた。子どもの頃は楽しく見ていただけなのだが、今、改めて『じゃりン子チエ』の世界観を受け止めると、考えるべき論点がたくさんあることに気付く。

 ヒロインのチエちゃんは勤労少女である。憲法や労働基準法に抵触する環境で生活している。父親のテツはネグレクトと判断されかねない。母親のヨシ江は働いて家計を支えながら、チエの世話をしている。オバアとオジイは、チエに積極的に関わっている。

 周囲の登場人物も、様々な立場の人々が出てくる。ホルモン焼「チエちゃん」の常連の二人組は日雇い労働者である。賭場の胴元のイカサマに対してテツが騒動を起こし、友人で警察官のミツルが後始末に苦労する。小鉄とジュニアなどの人間くさい猫もいる。

 舞台となる「西萩地区」は、一見すると無法地帯にも見えるが、そこには表現し難い秩序がある。まさに、地域のダイナミズムである。『じゃりン子チエ』は、差別論研究会として読むべき作品であると確認しておきたい。

 このような『じゃりン子チエ』の世界を真面目に研究する「関西じゃりン子チエ研究会」があり、書籍も出版している。

関西じゃりン子チエ研究会編 199309=20070107 『新装版『じゃりン子チエ』の秘密』,データハウス,219p. 1000+税

cf.
関西じゃりン子チエ研究会
http://www.jarinko.com/
じゃりン子チエ オフィシャルホームページ
http://www.futabasha.com/chie/

(K)

今日の喫茶(136)

久しぶりの「一息」更新。喫茶店の通う回数は頻繁ですが、なかなか新規開拓とはいきません。本日は、日々通り過ぎているテルサ西館にある「Heart Garden」に。木材を使用した店内に、作業所によるお菓子やグッズが売っていたり、現代アートの情報が発信されていたり。ハンバーグプレートとアイスコーヒー。

ひとまち交流館よりは、「おしゃれ」かもしれません。この二日間、テルサを会場にピープルファーストの全国集会があり、500名以上の参加があったようです。貴重な体験をさせてもらいました。いやー、賑やかでしたが、シリアスであり、また、実行委員会は大変だっただろうと、その組織性の高さに敬服しました。

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2010年度部落史出張講座@崇仁


京都部落問題研究資料センターより
http://www.asahi-net.or.jp/~qm8m-ndmt/setumei/index.html

今年度は、崇仁です。市民向け、地域向けの講座です。

----(以下)----

2010年度部落史出張講座―地元で学ぶ地元の歴史―

■第1回 2010年5月28日(金)
川の流れに人の身は―近世 六条村の歴史―
 講師:辻 ミチ子さん(元京都文化短期大学教授)

■第2回 2010年6月11日(金)
柳原銀行とその時代
 講師:重光 豊さん(柳原銀行記念資料館企画運営委員)

■第3回 2010年6月25日(金)
柳原銀行社屋保存運動からまちづくり運動―歴史とまちづくりの交差―
 講師:山内 政夫さん(NPO法人崇仁まちづくりの会)

■第4回 2010年7月9日(金)
菱野貞次と京都市政―菱野は京都市に何を訴えたか?―
 講師:白木 正俊さん(京都市上下水道局琵琶湖疎水記念館研究員)


■時間:午後6時30分~8時30分
■場所:崇仁コミュニティセンター 多目的ホール TEL:075-371-8220
■参加費:無料

■参加ご希望の方は,前日までに当資料センターまで電話・ファックス(075-415-1032)・電子メールqm8m-ndmt@asahi-net.or.jpでご連絡ください。

----(以上)----


(Y)

今日の喫茶(135)

4月から5月の半ばにかけて、落ち着きどころがありませんでしたが、この間、ようやく、一息つくことも可能になってきました。荒神口を上がって、セカンドハウスへと思ったのですが、隣のタナカコーヒーに寄りました。ブレンド450円。1974年の創業。祇園や先斗町などにもお店があります。それなりに雰囲気のあるお店。禁煙スペースはないですが、それなりにリラックスはできます。専用のコーヒーカップが微笑ましい。

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今日の喫茶(134)

二条駅から二条城に向けて、御池通りを通れば「チロル」という神泉苑角にある喫茶店が気になるのは、仕方のないこと。この近くで生れたのだと初めて知った戦後を代表する脚本家・依田義賢。神泉苑から「御池」という名前が付いたのだとは初めて知りました。入ってみると、実に気さくなおばちゃん二人が迎えてくれました。

町内の愚痴を言いに来て、ゆで卵を二つ食って帰るおじさん、タクシーの運転手、阪神戦が気になる兄ちゃん、そして、ちょっと小奇麗な30代後半の女と、代わる代わる店に入ってきます。6時から店を開けているという驚異的なチロルは42年前、1968年にオープン。年季の入ったマッチ箱も頂きました。

ブレンドが330円。350円を切るということに驚き。古い写真とジャズが流れ、木のイスと机に、電源をどうぞ使ってくれといわんばかりにコンセントがあちらこちらに。それを誇らしげに語る女主人も、頼んだシナモントーストを、間違えて、塩コショウトーストにしてしまうオチも付けてくれました。うーん、実によい夕方のひと時でした。秘密の駐輪場まで教えて頂き、その他、気になる情報もありましたが、それはまた今度。

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性的犯罪

1983年7月(製作=にっかつ)の作品です。プロデューサーは村井良雄、企画は成田尚哉、監督は崔洋一、脚本は三井優です。

風祭ゆきが、浮気されてしまう若妻を演じます。河原さぶが解体屋の社長を演じますが、楽天的だが、直情的、事務員の女に手を出したりして、風祭の激しい嫉妬を買います。そんなことは気にも留めず、三東ルシアは、社長を我がもののようにして、大きな顔をしてふるまっています。しかし、解体屋の仕事も必ずしも上向いたりはしていません。従業員が、数台の廃車を運んでいる際に横転。大事故に。借金しながら自転車操業の会社なので、一気に傾いていき、河原も焦り、苛立ってきます。献身的な風祭にも八つ当たり。

どうするか。いい加減に縁を切ってほしいと、三東との関係を清算して欲しいと風祭が河原に言い寄っていたところに、そんな事件が起きてしまったものだから、アパートを引き払って、家賃代を浮かせて、足しにしてもらおうとよりによって三東が転がり込んでくるのです。しかも、嫉妬する風祭と河原が夜の営みをしていることに、興奮してしまうほど、身体は熱くなってしまっています。とにかく、お金を工面するということで、三東も身体をはって、河原のために金策に走り回るほどの情は持っています。



よりによって、憎き敵を家に呼び込むとは……しかし、そうせざるを得ない程に、解体業の方は下向き。兄も弟も力になるどころか、危機感は全然ありません。しかし、それによって何とか生き延びる三人はいつしか運命共同体に。取り立てやの激しい追跡にも負けず、三東もお金を借りて力になります。そして、最後の手段として、河原を死んだことにして、葬儀まで実行し、生命保険で解決するという一か八かの大芝居に賭けるのです。それを白々しく見る河原の兄弟たち。ところが、死体が別物であることはすぐに分かってしまいます。

そして、河原は、自ら飛び降り自殺をしてしまうのです。あっけない終止符。警察に捕まる二人の女。淡々と経緯を語ります。性的犯罪……タイトルと中身にギャップがあっても、どこか違和感を感じさせない作品だったように思います。

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東京ギャング対香港ギャング

1964年(東映東京)の作品です。企画は岡田茂・登石雋一、監督は石井輝男、脚本は村尾昭・石井輝男です。

石井輝男の徹底ぶりはやはりロケーションにあるでしょう。現地に行き、現地の言葉を下手でもいいから使わせる。リアリティを求めたのでしょうか。香港の60年代初頭のバラック街、スラム街の雰囲気には圧倒されます。そこをニヤニヤしながら歩く高倉健。健さん久し振り。香港ルートの麻薬密売にかかわる大事な商談で日本から出張。香港のボスである石山健二郎に会いますが色よい返事はもらえず、そこを横から新たに台頭していたギャングの子分として内田良平がしつこくつきまとい、その甲斐あってか、商談はうまくいくのですが、逆に、金を釣りあげさせたところでゴーサインを出そうと思っていた石山は、手下に健さん・内田を襲わせるのです。

その凶弾に倒れ、マカオで倒れる健さん。それと入れ替わりに主人公である鶴田浩二が組織の命を受けて、マカオ入りするのです。身元不明の日本人の死という報道の真相、組織の金、麻薬の在り処……。組織の利害を第一にする安部徹がボス。まだ人情味を残している鶴田はその片腕といったところでしょうか。その鶴田は、早速、マカオに飛び事情を探ります。すると、内田、そして、そのボスである毛という男に会います。それはかつての戦友である丹波哲郎。互いに互いの生存に驚き喜びながら窮地を温めます。麻薬は、現地の踊り子である三田佳子が日本に興業に行く際に、運んでいくというルートがあり、それに無事乗ったことを知ります。



しかし、それが未然に防がれ、運ぶ段階で襲われます。それが、日本進出をもくろむ石山ら。横浜港での出来事から、内部にスパイがいるとみた鶴田は、八名信夫がそれであると見抜きます。内田も日本に来ており、彼が手を下さいます。遺骨を実家に持っていく鶴田は感傷に浸っています。ところが、すぐに中毒が。そう、彼自身が麻薬中毒になっていたのです。幹部が手を出しては格好がつかない。そんなところを子分の一人、街田京介に見られ、どうしようもなくなる鶴田を救ったのは、丹波でした。石山に共謀の誘いをかけながら、安部らと相争わせ、日本ルートも自分の手にしようという野望。石山らは、正体不明だった毛一派からの意外な申し出に、乗ります。

そして、案の定、麻薬の利権をめぐって大きな衝突が起こります。既にその前には、麻薬中毒になった鶴田を消そうとした安部に、取り分の交換条件を差し出し、その身を引き取るのです。物好きだといわれながらも互いの関係は知られていません。懐にそっとしのばせる拳銃。香港で健さんが見たスラム。それは、彼が生まれた場所と似通っていました。そのことに思いをはせ、仇を取らせるのはやはり鶴田しかいません。石山らとの麻薬争奪戦は熾烈を極め、内田が倒れ、石山の片腕チャーリーこと大木実が倒れ、そして、石山、安部、さらに、鶴田も……。その時点で、ようやく分かるのは、丹波は麻薬取締捜査官だったという事実。既に、警察に包囲されていました。鶴田は、丹波の胸にだから、麻薬のない世界へ旅立っていくのです。

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少年

1969年7月(製作=創造社=ATG、配給=ATG)の作品です。製作は中島正幸・山口卓治、監督は大島渚、脚本は田村孟です。

当たり屋の家族。一家四人で当たり屋を続けて、生活を凌ぐ。父親は渡辺文雄。傷痍軍人。通常の仕事もままらならず生計は立てることはできないでいます。妻は小山明子。そして、少年一人に、赤ん坊一人。最初は不慣れな当たり方も、徐々にこなれてきて、小山や息子にまでさせて、転々としてきました。まさに、当たり屋の全国行脚。段々と味をしめ、警察に行くよりまずは病院に行き診断。そこで示談に持っていくのです。とはいえ、いつも自分の怪我が嘘であるとばれるのではないかと少年はドキドキしています。こんな生活ですから、夫婦仲もあまりよくありませんが、その内に、二人目がお腹の中に。

生む余裕はない。しかし、妊娠していることさえだしにして当たり屋稼業に精を出す小山。時には、少年に腕時計を買って、別の仕事を始めようとするもなかなかうまくいきません。北九州から実家のある四国へ。さらにそこから、関西、関東、東北、北海道と渡っていきます。そのうちに、娘が生まれ、一家の生活はますます厳しくなっていきます。それでも当たり屋をやめることができない一家。当然、少年は学校などにも行っていません。こんな人生に目を付けるところが大島作品らしいといえばらしいかもしれません。ちょっと普通の左翼にはないセンスですが。

一家の衝突はエスカレートとしていきます。生まれた娘に少年は優しく声をかけ、それをかわいらしく繰り返す少女。微笑ましくもあり、何か、哀れなような気もしてきます。北海の雪の中で再び口論している夫婦。その目を離した隙に、よちよち歩きの少女が向こう側からやってきたトラックに跳ねられて死んでしまい、さらに一家も逮捕されてしまうのです。なんたる人生か。しかし、少年の顔には絶望より現実がしっかりと目に据えられているようにも見えます。

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