街歩き+喫茶(時々映画)

差別論研究会から、新たに街歩きBlogへ

キューポラのある街

1962年4月(日活)公開です。監督は浦山桐郎、脚本は今村昌平・浦山桐郎、原作は早船ちよです。舞台は荒川をはさんで川口市。鋳物職人たちが働くキューポラのある街です。

何度も、鉄橋のシーンや電車の行き来が描かれていたのは印象的でした。高度成長のなかの大都市・東京の変貌と比較して、未だ貧しい家々や多くの在日朝鮮人が多い荒川周辺が描かれている点が大変重要です。

吉永小百合を有名にした映画ということですが、それよりも、吉永やその弟が中学校や小学校で北朝鮮への帰国を控えた在日の友人たちとの「友情」を培う点を描いていたり、一方で、「チョーセン」という言葉が飛び交ったり、「もつ」のお店が描かれたりと、この時期(1950年代後半)の日本人と朝鮮人の関係性を考えるうえでも貴重な映画であったのだろうと思います。

大島渚の『忘れられた皇軍』が1963年ですから、それより1年早い時期の作品となります。

下層地域のなかで、昔かたぎの職人であろうとする頑固で家父長的な吉永の父親が組合との関係のなかで徐々に意識を変化させる点や、高等学校に進む気満々だった吉永が働いて学び自活する定時制高校への進学を選択する点、また、くず鉄拾いや盗みなどをしていた弟が新聞配達をしてまじめになる点など、ストーリーとしては少し(左翼的な意味で)よく描きすぎている点があり、少々いやらしさも感じます。

とはいえ、公開された時期を考えても、変にサクセスサクセスするよりは、いいのではないかと思いました。それにしても、吉永は相変わらず「優等生的」でしたね。それはそれで仕方のないことかと。

(Y)

緋牡丹博徒・一宿一飯

1968年11月公開、シリーズ第2弾です。企画は俊藤浩滋・日下部五朗、監督は鈴木則文です。「トラック野郎」と一緒ですね、監督は。菅原文太も出ています。

時は明治中頃、上州富岡が舞台です。百姓の生活が非常に厳しく借金の取り立てを緩和して欲しいと懇願するわけですが、その際に、侠客たちがどう立ち回るかが鍵となります。お竜が世話になっていた組は高利貸しのところに乗り込むのですが、それを警察に察知され(天津敏が垂れ込み)、親分共々殺され、組は壊滅状態。百姓の娘たちは親の借金の代わりに新たに出来た製糸工場でこき使われます。

四国・道後で熊寅(若山富三郎)に会った後、上記の報を知り、お竜は富岡に戻ります。そして、笠松組(天津敏)と対決することになります。最後は、鶴田浩二とともにあだ討ちを果たして終わります。

(Y)

トラック野郎・ご意見無用

シリーズ第1弾です。1975年8月公開です。監督は鈴木則文。菅原文太と愛川欽也の絶妙なコンビが織り成す「トラック野郎の仁義」が描かれた作品です。キンキンの滑稽ぶりはやはり見ものです。その他にも、鈴木ヒロミツや由利徹なども出てきます。

(Y)

鬼龍院花子の生涯

1982年6月(東映=俳優座映画放送)の公開です。

企画は佐藤正之・日下部五朗、プロデューサーは奈村協・遠藤武志、監督は五社英雄、脚本は高田宏治。原作が宮尾登美子です。

高知のヤクザ(仲代達矢)の娘・小学校教員として夏目雅子。仲代の妻として岩下志麻、夏目の連れ合い役の山本圭は労働運動家です。この作品は夏目の「濡れ場」に注目されることが多いように思いますが、それよりも何よりも、「ヤクザ」ではなく「侠客」であろうとする仲代が、権力の飼い犬であることをやめ任侠道を守ろうとする点や、その原因を作った鉄道労働者のストライキを指導する山本圭の役割など、大変興味深い筋となっています。



時期は大正期から昭和初期が中心的に描かれています。

仲代が、山本と夏目の結婚を認める点も同様に興味をひかれます。また、志麻さんの演技っぷりは相変わらず迫力があります。仲代の度々の形相の激しさなども迫力があります。

夏目の「なめたらいかんぜよ!」のシーンは初めて見ました。25歳の演技にはしてはやはり凄いなと。夏目は27歳で亡くなっていますが、なんだか信じられません。本当に惜しいことです。生きていれば今年でまだ50歳!



しかし、基本的なことですが、夏目は花子役ではなく、養女としてもらわれた松恵役です。映画で描かれているのはその松恵の生涯です。最後は花子が京都の「橋本遊郭」で亡くなった亡骸を松恵が見届けるところで終わりますが、1937年のヤクザの抗争、労働運動への弾圧など、まさに、時代が両者とも完全に許さなくなる間際の時期である点も気になります。

五社監督が、マキノ雅弘とは違うかたちで(しかし、東映のヤクザ映画の仕掛け人たちはかかわり続けています)、ヤクザや運動を描いている点、考えねばなりません。

(Y)

網走番外地/唐獅子牡丹

ご存知高倉健の名曲です。レコードのジャケットをどうぞ。7inchです。今日は写真続きです。

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健さん!

(Y)

仁和寺

先ほど通りましたので。

(Y)

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新仁義なき戦い・組長の首

1975年11月公開(東映京都)です。企画は日下部五朗・橋本慶一・奈村協、監督は深作欣二、脚本は佐治乾・田中陽造・高田宏治です。

主演は流れ者役の菅原文太。舞台は北九州。行ったことのある門司駅の風景が印象深かったです。今回は話の筋より、キャストに魅せられました。ヒロポン中毒で自分の親分(西村晃)を殺す山崎努の狂気ぶり。その連れ合い役に梶芽衣子。和服姿もなかなかでした。相変わらず成田三樹夫の演技も冴えていました。

最後のシーンは帷子ノ辻駅(京福)近くの河端病院が見える電話ボックスで文太が電話かけるところで終わります。歩いて10分のところにあります。

(Y)

仁義の墓場

1975年2月の公開(東映東京)です。企画は吉田達、監督は深作欣二、脚本は鴨井達比古、原作は藤田五郎。主演は渡哲也です。梅宮辰夫、多岐川裕美、池玲子、成田三樹夫、田中邦衛、ハナ肇、安藤昇なども出てきます。

この作品はかなりクレイジーです。「石川力夫」という水戸出身のヤクザの半生を描いているのですが、舞台は新宿です。テキヤの親分や仲間を何度も何度も裏切り続け、麻薬中毒になり、しかし、簡単には死なず、最後は刑務所にて飛び降り自殺するという筋を辿ります。時期は、戦後から1956年まで。主にヤクザ世界を震撼させたのは戦後5年間になりますが、その後も彼の名は語り継がれたということになっています。

彼の墓には仁義と刻まれている(刻ませた)が、誰もそれを理解できなかった、というナレーションで終わりるところや、骨壷を持ち歩きその中におさめられた多岐川裕美の骨をこりこりとむさぼるシーンは印象的でした。

この作品が1975年に撮られているということを考えると、「仁義なき戦い」以降のヤクザ社会の描き方がここまでたどり着いたんだなという感慨を抱かせます。

作品中には「三国人」として在日中国人との抗争が描かれるシーンなども出てきます。

渡哲也のヤクザものは初見ですが、しょっぱなから激しかったです。

(Y)

東映映画村

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あまりにも近所過ぎて一度も行ったことのない東映太秦映画村です。
これからもきっと行くことはないでしょう。

(Y)

昭和残侠伝

高倉健の人気シリーズです。だいたい観ています。

昭和残侠伝(1965)  ○
唐獅子牡丹 (1966)
一匹狼(1966)  ○
血染の唐獅子 (1967) ○
唐獅子仁義 (1969)  ○
人斬り唐獅子 (1969)  ○
死んで貰います (1970)  ○
吼えろ唐獅子 (1971)
破れ傘 (1972)  ○

「死んで貰います」はそこまで面白くなかったように思いますが、高倉が歌う主題は相変わらずいい味を出しています。全体的に「日本侠客伝」の方で面白いような気がしますが、どうでしょう。大体の作品が池部良とのタッグという感じです。もちろん、藤純子や鶴田浩二も出てきますが、三田佳子も出てきます。

(Y)

女囚さそり・怨み節

「女囚さそり」といえば梶芽衣子です。1972年8月「女囚701号さそり」、同年12月「女囚さそり――第41雑居房」、1973年7月「女囚さそり――けもの部屋」、同年12月「女囚さそり――701号さそり」と続きます。原作は篠原とおるの『さそり』。脚本は基本松田寛夫。監督は三作目まで伊藤俊也です。

「雑居房」は、渡辺文雄、小松方正、阿藤快などが快演しています。刑務所でいたぶられる梶(松島)は、他の女囚とともに脱走し、逃亡。バスジャックを行い、最後は捕まるのですが、そこにいたるまでになされる警察に対する復習劇の激しさに思わず腹をかかえてしまいます。

「けもの部屋」は、最初のシーンで地下鉄にて刑事役の成田三樹夫が片腕を梶に切断されるシーンから始まり、その梶を捕まえるまでの過程を描いていますが、成田の演技は大変すばらしいです。それにしても、この「女囚さそり」は女囚同士の関係性にもいろいろ嫉妬や憎悪などが入り乱れており興味深いところがあります。

また、作品を通して、そのトーンというか雰囲気が大変シュールというかダークなところがあって、独特の映像(美)を実現しているように思えます。さらに、1960年代から70年代にかけて主演女優がその主題歌を歌った作品のなかでは、梶の歌う「怨み節」が絶品のように思います。

他の作品も観次第、感想を書きます。

(Y)

網走番外地――吹雪の斗争

1967年12月、ご存知、石井輝男監督作品です。伊藤一の原作『網走番外地』を元にしています。今回は高倉が網走刑務所から脱走し、昔、誓い合った女性に再会する過程を描いています。その再会する女性の夫が高倉を網走行きにした貿易会社の社長というわけです。

今回は映画としても面白く、楽しむことができました(それが目的で観ているわけじゃないのですが)。また、谷隼人が仲間に裏切られた際に「シャモはどいつもこいつもろくでなしだよ!」と叫ぶシーンなどがあり、興味深い作品でした。

さて、最近『封印歌謡大全』(2007年4月)という本が出版されました。著者は石橋春海。この中に同映画で高倉が歌う主題歌「網走番外地」の項(pp.64-65)があり少し驚きました。放送禁止になった歌だったとは。この曲、結構好きなんです。しかし、映画ではがんがんに使われていたわけでそのあたりどうしていたのでしょうか…。

(Y)

日本暴力列島――京阪神殺しの軍団

1975年5月公開の作品(東映京都)です。企画は日下部五朗・今川行雄、脚本は松本功・野波静雄、監督は山下耕作です。話は朝鮮戦争以後、鶴橋のシーンから始まり、「血」(連帯感)「食い物」(侮蔑)など、その民族性を象徴するようなセリフが様々な立場から随所に発せられます。主演は小林旭、助演は梅宮辰夫です。

小林、梅宮ともに朝鮮人ですが、伊吹吾郎は日本人で、伊吹は、小林と梅宮の紐帯に嫉妬する場面も出てきます。また、片言の日本語をしゃべるヤミ医者なども出てきます。また、「味噌汁にキムチ入れるとうまいらしいぞ」「賭殺場から直接貰ってきた上等の肉」「本式のホルモン」なども出てきます。

この映画は明らかに、山口組三代目の勢力拡大の尖兵になった柳川組にそのモデルを得ていると思われます。柳川次郎と谷川康太郎によって率いられた柳川組には多くの日本人も混じっていましたが、その関係性がどのようなものだったのか、大変興味深いところです。

ちなみに、柳川組は1969年に獄中から解散声明を発し、山口組から絶縁されますが、その若いメンバーは山口組の幹部として再吸収されていきます。在日朝鮮人(韓国人)で広域指定までされてヤクザの幹部にまでのぼりつめたのは京都の会津小鉄四代目・高山登久太郎ぐらいでしょう。

話は戻りますが、この話の最後は所属していた組に小林が反旗を翻し、成田三樹夫を刺して終わります。ナレーターが、「花木(小林)は組から破門された。しかし、もともとすべてから波紋されていたのである」と終わるのは意味深でした。

(Y)

侠客列伝

1968年8月、マキノ雅弘作品です。企画は俊藤=日下部、脚本は棚田吾郎です。舞台は小田原。賭博禁止令が試行される明治40年です。この法律を受けて、時の政治家と結びつき愛国団体(日本大道会)を作ろうとする博徒が現れます。「任侠道は忠君愛国に通ずる」。日清・日露もその経緯のなかで位置づけられます。そのようなセリフも出てきます。その結成大会を小田原で開くわけですが、小田原の博徒がそれを引き受けます。そこの舎弟として高倉健が登場します。

その他、藤山、長門、若山、鶴田なども出ており、東映のオールスターという感じです。それに、藤純子の笑顔には不思議な気品があります。これで23歳とは…。

この歓待の席で政界も結びつこうとするヤクザの陰謀により高倉の組の親分は殺され、その後、一気に衰退していきます。そのなかで、漁師たちからも信用を失っていきます。そして、堅気にまで犠牲が出、遂に組を解散、敵討ちに高倉が行きます。

最後は、高倉、若山、大木の迫力ある立ち回りを披露します。それに痛めつけられてきた猟師たちが呼応し、警官を押しのけて、合流。大道会は遂に潰えます。

(Y)

新仁義なき戦い

1974年12月公開です。主演はもちろん菅原文太、監督は深作欣二。脚本は神波史男・荒井美三雄。神波は「網走番外地」や「女囚さそり」「0課の女」「華の乱」なども手がけています。企画は日下部、原作は飯干です。

菅原文太の役名は広能昌三から三好万亀夫に変わっています。時代は1960年前後。出所した三好が、所属していた組の抗争のなかで浮沈する姿を描いています。舞台は以前と同様、広島・呉です。

「新仁義」の評判はまったくよくないですが、確かに、初期の斬新さや活力は少し衰えているように思います。とはいえ、興味深いシーンも幾つか出てきます。

既に1960年代から俳優として活躍している元・ヤクザの安藤昇が出演しています。同年11月には実録安藤組が公開されています。その前には「昭和残侠伝」や「網走番外地」などにも出ていますね。

また、池玲子扮する朝鮮人の女性が、弾除けとして菅原文太に連れ添うことになり、そのことに気付いた池は逆上し、「日本人の女にはせへんやろが!」と発し、それに対して文太は「チョーセン」と罵倒するというシーンも出てきます。

最後は、金子文雄は引退に追い込んだ若山富三郎が殺されるシーンで終わります。止めを刺すのは松方弘樹でした。

(Y)

夜の等持院駅

今日は一日雨でした。梅雨が明けるといいのですが…。夜の等持院で嵐電を待つ風景です。映画とは特に関係ありませんが、戦前の京都において映画の撮影所が京福沿線に多く作られたということもあるので。

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日本侠客伝(11)刀(ドス)

1971年4月公開、企画に俊藤=日下部、脚本は笠原、監督は小沢茂弘。シリーズ第11弾、いよいよ最後です。舞台は金沢。九州から親の故郷である金沢に向かった高倉が郵便局員となって、政権政党と結びつく政治結社(元・博徒、渡辺文雄)と対抗するという筋です。間に挟まれる芸者役に十朱幸代。対抗政党である民党倶楽部の候補者として大木実、キーパーソンのヤクザとして池部良。

高倉が旅中に、配達中の郵便馬に無理やり跨り馬車を走らせ金沢へ向かうオープニングシーンはなかなか躍動感があって見ごたえがあります。

高倉は北陸逓送で働いていたのですが十朱への思いを断ち切り数年いなくなります。そして、渡世人として金沢に戻ってきます。そして、北陸逓送の頭取を継ぎ、犠牲者がでるなかで立候補を断念しようとする大木を説得し再起させます。

その後、頭取の半纏を脱ぎ、敵討ちに出、最後は高倉の見事な立ち回りで終幕を迎えます。立ち回りの最後の舞台は墓場。ここで高倉は敵を討ち、池部とともに戻ろうとしますが、両者ともに遂に息絶えるのです(涙)。

(Y)

等持院

マキノ省三がその撮影所にし、水上勉が修行を抜け出して近くの五番町に遊びに行っていた等持院。京福の駅と正門の風景です。梅雨なので雨です。

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(Y)

極道の妻たち――最後の戦い

1990年8月(東映京都)公開の作品です。言わずと知れた家田荘子の原作によるものです。企画に日下部、脚本に高田、監督に山下という面子は、任侠・実録路線を通じて形成された「ヤクザ映画の東映」の重鎮たちによって作られたことを物語っているように思います。

今回、岩下の夫役には小林念持、敵役に中尾彬、その他、哀川翔、石田ゆり子、津川雅彦なども出ています。鴨川のシーンも出てきますね。

しかし、岩下の迫力は凄まじいものがあります。男社会の極みのようなヤクザ世界のなかでその妻たちがどのような思いでどのように生きてきたのか。時には一家の親分である自分の夫さえ出し抜いて度胸を示すその生き方は見せるところがあります。

(Y)

「祇園祭」

本日、京都文化博物館の映像ホールにて上映されていました。
http://www.bunpaku.or.jp/exhi_film.html

1968年11月の公開です。製作は日本映画復興協会、配給は松竹です。企画に「王将」「鞍馬天狗」「無法松の一生」などを手がけた大御所・伊藤大輔、監督は山内鉄也、原作は西口克己(日本共産党市議・当時)です。しかし、いろいろともめているらしく、伊藤や加藤泰などもこの企画から降りているようです。プロデューサーだった竹中労の名前は結局公式には残されていません。

竹中が西口の小説を映画化しようと東映に持っていたのが1961年のようで、東映がそれを断り、1967年に京都府の100周年事業として蜷川府政に要請し、映画化にこぎつけたようです。しかし、真偽は確かめられるなら確かめたいですが、この「祇園祭」によって竹中は共産党から「除名」されたようです。ならば、名前が公的に残らないのも頷けます。



ということで、あまり期待しないで見に行ったのではありますが、これがなかなかいけるんです!現在の情勢との関係もあるかもしれませがん、町衆がこれまで従属していた幕府権力から徐々に離反し、河原者、馬賊などと対立しながらも徐々に共通の敵を見出す中で関係性を築く流れはとても印象深かったです。

応仁の乱以降の京を復興するため、祇園祭の開催を様々な障害を乗り越え実現する。その過程で、ある意味で中産階級でもある町衆が体制の側ではなく、底辺・被差別民衆との関係を重視し、それを祭というものが媒介する。そこには町衆の祭ではなく民衆の祭としての祇園祭があったのだと思います。

蜷川府政を研究していたときに、この「祇園祭」への蜷川の入れ込みようはかなりのものだったことを知りましたが、それよりも、東映争議を経て、東映から離れた後の中村錦之助の役者魂を見たように思います。岩下志麻、渥美清などの松竹系、三船敏郎などの東宝系、高倉健などの東映系などの大物が次々に登場している点も、五社協定などの独占体制を考えるうえで重要な点かと思いました(ATGとは別の意味で)。



それにしても、この映画の上映権は京都市が持っているようです。そのため、DVD化はされないし上映もされないし、まったくひどい話です。もっとひろく公開させた方がよい映画です。これを実際の祇園祭の参照点にしたら、反体制のためのよい「啓発」映画になりそうです(笑)。今の祇園祭を担っている人たちはこの映画をどう評価するのか。

もちろん、代々木系の影響という点を差し引く必要はあります。また、善阿弥・河原者である作庭の者がかなり「露骨」に描けた点など、今井正監督の『橋のない川』が部落解放同盟による上映阻止運動の対象となったのとは異なる文脈があったようにも思います。この点は大変興味深いので今後も調べていきたいと思います。

ということで、感想は尽きません。とにかく岩下志麻の美しさには度肝を抜かれました。藤純子にせよ、最近の女優にはまったく見えない60年代特有のものなのでしょうか。そんなことはないとは思いますが、そう思えるほどに見るに絶えない女優ばかりで最近は残念です。

(Y)

<参考サイト>
http://www.arsvi.com/2000/0703it.htm
http://www.occn.zaq.ne.jp/momokun/cinema/essay/essay03/gionnmatsuri.htm
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