1970年12月(東映東京)の作品です。企画は俊藤浩滋・矢部恒、監督は降旗康男、脚本は村尾昭、原案は伊藤一です。

いったい何回手を叩いて笑えばいいのか。南利明と由利徹の最高の独走珍プレイ。誰もみていない、誰も注目していないところで、細かい細かい小技を入れてくるので参ります。そこに健さんがどかーんと存在感を発揮する網走番外地。最高です。大雪・吹雪の荒野のなかで健さんが思いきり暴れます。しかし、今回はその制御装置として、恰幅が良くなり始めた岡田真澄。網走刑務所で仮釈前の健さんをキリスト教の力で改心させようとする岡田。最初はうっとしいおっさんとしか思っていなかったのですが、刑務所の官吏の今井健二やそれとつるむ囚人たちに健さんが殺されかけたのは助けたりと、その裏表のない心に健さんも折れていきます。

仮出所すると、健さんは岡田が牧師を務めるカムイベツの教会で、牧師見習として手伝いを始めます。ここは健さんと同じように仮釈の青年たちが集められ、「更生」を目指します。岡田の下で働く日本人クリスチャンにザビエル風の頭に禿げあがった由利。ここの青年たちは非常に荒くれ。正面から向かっていく健さんをうっとしいがりながらも徐々に信頼をしていきます。ただ一人そうならないのが谷隼人。彼は近く開かれるボクシング北日本新人王決定戦に優勝候補として出るほどの腕前を持っています。教会では青年たちの運動としてボクシングが奨励されており、岡田もそこからチャンピョンにぜひなって欲しいと願っていました。



しかし、恋人を人質に、谷を引き抜くのが五十嵐組。地元ヤクザ。興業で金儲けしようと企んでいますが、さらに、谷のスポンサーになって東京進出も狙います。親分は山本麟一。しばしば教会にやってきてはちょっかいを出していきます。この山本と今井らがつるんでいます。五十嵐組との小競り合いを繰り返しながらも、決して、無茶はしないという約束の下、献身的に尽くす健さん。たまには我慢できずに手を出してしまいますが、岡田に叱責されながら、二人の絆は深まっていきます。出所したときに、健さんは彼を親分と慕い、親子盃も交わしている程。とはいえ、谷への圧力は大会が迫るごとに強くなっていきます。体当たりの健さんに、谷も徐々に惹かれていき、健さんの懐に飛び込んで練習に励むのですが…。

大会先日。山本は再び谷に態度決定を迫ります。恋人を人質に取られているため、強気に出れません。要求は、負けろということです。それに従って、うちのめされる谷。南と由利の報を受けた健さんはその恋人を助けに行きます。最初は土下座しているのですが、当然、そんなことで五十嵐組が言うことを聞くはずがありません。散々殴られた揚句、埒が明かないと見た健さんが遂にやり返します。そこに、刑務所で懇意だった若山富三郎が登場。五十嵐組の客分となっていたのです。若山のおかげで、なんとか人質を取り返し、起死回生の最終ラウンドで谷は逆転勝ち。見事に新人王になるのです。



そこから、一段落して展開があるのだろうと予測していたのですが裏切られました。胴上げされている谷がどこから狙撃。マットは血の海に。さらに、普段から目の敵にされていた岡田もリングに上がろうとしたところを刺され倒れます。照明が妙に明るく見えます。二人の火葬が吹雪の中で神妙に行われる中、健さんは岡田からもらっていた法衣と十字架、それから盃を返し、単身、五十嵐組に乗り込んでいくのです。そこに、焼き餅を頬張ろうとしている若山が。相対したくはなかった若山と健さんですが、二人は渡世の義理で対峙します。しかし、後ろから健さんが狙撃されそうになっているのを身代わりになる若山。兄弟分になりたかったと言い残して死んでいきます。

身近な人間が次々に死に、健さんのボルテージも最高潮に。脇腹に刀を突きさあれ、片足に銃弾をぶち込まれてもなお立ち続ける健さんの迫力。その大ぶりの太刀捌きが魅力です。決して、修練され隙のない立ち振る舞いではないところに、それでいて、東映映画の中心に据えられたところに、中期健さんの躍動があります。片足を引きずりながら山本を捉え、再び、雪の中を痛々しくも歩んでいくのです。まったく、痛快かつ珍妙な活劇でした。

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(Y)