1958年4月(製作=現代ぷろだくしょん、配給=松竹)の作品です。製作は山田典吾、監督は今井正、脚本は橋本忍・新藤兼人、原作は「堀川波の鼓」近松門左衛門です。

因幡の国、鳥取藩に1年2か月ぶりに参勤交代の役目から帰ってきた三國連太郎。妻は美目麗しい有馬稲子。まだ下っ端武士なので、お役目に忙しく、夫婦の仲を温まる時間も暇もありません。それでも、有馬の献身的な妻ぶりはまさに武家たらんものでした…。しかし、三國が妻の顔を見るのを楽しみに帰ってくると、周囲の雰囲気がどうもぎくしゃくしていることに気付きます。それは、有馬が、夫のいない間に、別の男を作って慰められていたというようなもの。妻を信じようとする三國は、有馬の言葉に疑いを持とうとしないようにしてきました。

それでも、叔父の東野英治郎、同僚の殿山泰司、親類の加藤嘉など、あらぬ噂でお家が取り潰しにでもあったら困ると、親族会議を重ねます。身近にいた女中にも事情聴取を行い、最も怪しいと思われた鼓の師としてしばしば同家を訪れていた森雅之とは、何もなかったということで落着しかけます。ところが、別の容疑者が浮かび上がってきます。それが、金子信雄。以前から、有馬に目を付け、夫のいない間にと、激しく迫ってきます。刀まで突き付けられた有馬は、いやいや、首を縦に振りつつ、その要望を受け入れかけるのですが、挨拶に来ていた森が、機転を利かせ、急場を凌ぐことができるのです。こうなると、何もなかったとはいえ、金子に責があります。それを知った三國は金子を責め立てます、意外な事実が再浮上します。



それがまた森だったというわけです。金子とのやりとりを聞かれてしまった有馬は、それを口外してくれるなと盃を求める。ほろ酔い気分にタガが外れて、金子が口説き文句の一つとして使った三國のお役目の延長を耐えきる自信が折れて、目の前にいる森の懐に自ら飛び込んでいってしまうのです。そんなつもりがなかったどうかは分かりませんが、とりあえず、素振りは見せていなかった森も、自分の教え子の母親である有馬の寂しさに、男としてスルーすることができなかったのです。結果的に、三國は妻に騙され続けていた訳で、周囲もこれはそのままにしておくことはできず、有馬に武家の女らしく自害を求めるのです。

手を震わせながら短刀を自らの胸に突き刺そうとするがなかなかできないでいる有馬。無念さを隠しきれない様子ですが、思いきってと促す三國。しかし、やはりできない。うなだれる有馬に、すかさず刀を振り下ろす三國。さすがに、この一瞬の展開に唖然としました。さらに、堀川下立売に住む森のところに向かう三國ら。妻を処断しただけでは済まされません。公儀の許しを得て、血気盛んに祇園祭で賑わう京都に乗り込み、森を一突き。倒れ込んだ森に次から次と、突き刺す。尋常じゃない私怨です。すべてが発覚したとき、思わず三國が有馬を平手打ちにしますが、これがあの有名なシーンかと思い、ハッとしました。



今井正の作品を見直して改めて思ったのは、その幅のひろさです。共産党系の映画人としてみられてしまうことで、その面白さはだいぶ現代において減じられてしまっているように思えます。ここまで、社会と人間の深見に入り込もうとした左翼映画人だとは……追究のし甲斐があります。

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(Y)