街歩き+喫茶(時々映画)

差別論研究会から、新たに街歩きBlogへ

映画

狂った果実(1956)

1956年7月(製作=日活)の作品です。製作は水の江滝子、監督は中平康、助監督は蔵原惟繕、脚本・原作ともに石原慎太郎です。

舞台は鎌倉。別荘を葉山に持つ兄弟を中心に話は進みます。「太陽族」なんていうセリフもあるぐらいでなんとも自己言及的な作品です。主演は石原裕次郎、弟役に津川雅彦。20歳にて人妻の北原三枝と恋仲になる津川は、兄の裕次郎やその友達たちに坊や扱いされますが、顔がよく、実直なところもあり、しばしば女性に一番人気となります。北原は、初心な少女を装ってこの津川と関係を深めるのですが、それが予想外且つ憐れな裕次郎が北原に忠告をすると、今度はその裕次郎を誘う北原。兄弟の仲が徐々にぎくしゃくとしていきます。

津川の兄である長門裕之、そして、裕次郎の兄であり原作者である石原慎太郎も登場します。「もはや戦後ではない」のは確かだとしても、これだけゆっくりと時間が流れ、時に気怠くさえある青年像を描いた時期=1956年をどう考えるかは重要です。裕次郎は、そんな弟の青春を飛び越えるように、夜な夜な北原の家に通い、だんだんと敬遠されるようなります。そうなるとますます燃えてくる。一方、自分たちの間を邪魔する存在だと気付かないっまの津川でしたが、ついに気付きます。

沖まで出ていた二人にようやく追いついた津川。ぐるぐると二人の乗る船を取り囲むように船を動かし、我慢ならなくなった北原が海に飛び込み呼びかけると、勢いをつけて顔面に衝突、さらに、そのまま裕次郎の乗る船に突っ込み木端微塵に。冷徹な顔をしたまま船を走らせます。なんとも現実離れしたこの作品が、特別面白いとは思わず、裕次郎の友人として登場する岡田真澄が若々しさが懐かしく感じられたのです。

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太陽の季節

1956年5月(日活)の作品です。製作は水の江滝子、脚本・監督は古川卓巳、原作は石原慎太郎です。言わずと知れた歴史的作品。 見るのは初めて。長門裕之と南田洋子を結びつけた作品としても有名です。一種の高度成長への文化的離陸を幻想化(定式化)させた作品と見ていますが、実際はどうか。


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忍者狩り

1964年9月(東映京都)の作品です。企画は森義雄、監督は山内鉄也、 助監督は中島貞夫、脚本は高田宏治です。

山内作品三本目。さすがに疲れてきました。主演は近衛十四郎。始まりの音調は大映映画を見ているようです。雷蔵主演の映画にありそうな感じです。今津藩の浪人役ですが、似合っています。徳川も三代目に入っても豊臣方の系譜を引く外様大名たちは反乱分子予備軍です。そんな中の一つ松山藩の城代である田村高廣は、四人の浪人として、近衛、佐藤慶、山城新伍、河原崎長一郎を集め、幕府から送り込まれた甲賀忍者に対抗させようとします。いずれも幕府にょって取り潰され、その先端を担った忍者に辛酸を舐めさせられた浪人ばかり。その中でも特に近衛は、鋭い感覚と腕を持っています。

助監督を中島貞夫が務めているのは興味深いです。ちなみに音楽は津島利章です。三本見た中では一番面白かった山内作品でした。脚本が高田であることも寄与しているかもしれません。すべて東映京都ですが、近衛の存在感が非常に大きいです。甲賀忍者のボス的な役割を果たすのが天津敏。まったく忍者が似合わないところが笑えますが、目つぶしを得意技にしており、他の忍者とは格が違っています。最終版でボロボロに斬られた近衛が一発逆転、止めを刺します。しかし、残りの三人の浪人たちは次々に倒れていきます。山城新伍に至っては、まんまと色気にやられてしまうという役柄。まだ、美男子の面影が残っているのに、まったく滑稽です。

この時期の白黒は、作品に緊張感をもたらすうえで抜群の効果を持っていますね。予算的な制約もあるのでしょうけど、どんどんカラー化されている中にあって、効果音との相乗効果で、場面展開を上手に見せていく技術がこの作品でも発揮されています。森一生、池広一夫、田中徳三などの方が上であることは言うまでもありませんが。

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銭形平次(1967)

1967年10月(東映京都)の作品です。企画は岡田茂・松平乗道、監督は山内鉄也、助監督は大西卓夫、脚本は 田坂啓・山内鉄也、原作は野村胡堂です。

引き続き、山内鉄也の作品。これまた時代物。橋蔵はこの作品以降、映画からは遠ざかります。時代的にもテレビの台頭に、映画は打ち勝てない。そんな後退期に入る時期。「男だったら~♪」のテーマソングを唄うのはコロムビア所属の舟木一夫。特別出演で、平次こと橋蔵を助けます。幼馴染であった小池朝雄と賭場で捕えられ、親方にこっぴどく叱られますが、町奉行の大友柳太郎の情けもあり、釈放。しかし、その直後に親方は殺されてしまうのです。一介の鳶に過ぎなかった橋蔵は大友のところに出向き決意を語ります。その時、銭形平次が誕生するのです。父親が同じように十手を持っていたことがあり、そのこだわりが自らの人生の選択肢から、十手が外れていた訳です。それに改めて向き合う平次。

心中に見せかけた殺された親方の非業の真実をなんとか明かしたい思い、奔走する橋蔵。銭捌きも鮮やかです。話の筋は娯楽時代劇として特別に変わるところがある訳ではありません。しかし、銭形平次というキャラクターを世に広めた画期となる作品のようです。久しぶりに再会した小池と親しくする橋蔵ですが、実はこれが犯人一味の一人であり、大元には名和宏がいるのです。名和との一騎打ちの際に、危機一髪を救うのが、小池。小池の悪役のパターンに、実は不本意ながらそのようになってしまったというものが稀にあります。



任侠映画全盛期に一方で銭形平次のような作品が人気を博したというのはいろいろと考えるとこもありますが、ストーリーは単純明快である点は共通しています。なんといっても東映京都の作品なので同じ撮影所で作られていたのですから。親方の娘と将来は一緒になることになっていた平次は余計にしゃかりきになりますが、親方が探ろとしていたライバル材木問屋にはめられた訳ですが、その末端で殺しを担っていたのが小池だったという訳です。その背後に名和が控えているというあたりがなんとも東映という感じです。

もう少しスピーディーな作品かと思いましたが、意外にもスローテンポの印象を受けました。演者の躍動が足りないというか、チャンバラのシーンも、銭を飛ばすという工夫は面白いのですが、ちょっと迫力に欠けるところはあります。

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水戸黄門(1978)

1978年12月(東映京都)の作品でs。企画は葉村彰子・高岩淡、プロデューサーは西村俊一・郡進剛・森誠一・神先頌尚・杉本直幸、監督は山内鉄也、助監督は俵坂昭康、脚本は葉村彰子です。

訳あって、山内鉄也の作品を見直しています。私にとっては黄門様といえば西村晃。しかし、世間的には東野栄治郎。とはいえ、尾上松之助が横田商会の作成で明治時代にも演じている役柄。とかく歴史の長い題材でもあります。助さんは現在の黄門である里見浩太郎、角さんは大和田伸也、弥七は中谷一郎、うっかり八兵ヱは高橋元太郎。一つのタイプができている作品でもあるので、キャストは豪華でも、予想を超える展開というのは起こりにくいところがあります。

加賀藩の世継ぎ争いに端を発し、黄門様の力にすがろうとやってきたのは栗原小巻。真っ白な肌が初々しい。命からがら、助けを求め、加賀に向かいます。1時間ドラマではないので、二回ほど、素性がバレる(というよりはバラす)シーンが登場します。一回目は小悪党を演じる土地の親分である遠藤太津朗が、ハナ肇、植木等、谷啓という豪勢な偽の黄門一家にまんまと騙されて金を積んで悪事をもみ消そうとして、二倍にして叱咤されるというところ。旅籠でのドタバタには女中の正司歌江、照江、花江が騒動を盛り上げてくれます。



次は、加賀藩の実験を握ろうと反対派の竹脇無我を追い落とそうとする安部徹らを懲らしめるというシーン。この竹脇と栗原が恋仲で、栗原の父親が安部が推す次男坊ではなく、長男坊を推している輪島出身の三船敏郎という訳です。この三船の腹心には加藤嘉がいます。ここまで豪華だと作品は大抵、間の間を取って、つまらなくなりますが、本作にも同じことが言えます。あの、「カッカッカッ」という東野の笑い声は確かに顕在。紋所が目に入らぬか!というセリフもあります。安部の悪事は寸前のところで防がれ、加賀藩は安泰。世直しの旅が再び続きます。

善悪二元論的な図式に、東映お馴染みのキャストだけでなく、この時代には珍しくなくなった横断的なキャスティングが重なります。

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悪人

2010年(東宝)の作品です。脚本は李相日・吉田修一、監督は李相日、音楽は久石譲。ついに、劇場でみようとさえした『悪人』をみました。忙しい中、無理矢理にでも見たわけですが、そこまでする必要もなかったかなと。李相日といえば、『青』や『フラガール』を見ていましたので。キャストも柄本明や樹木希林などが出ていたので、期待はしていたのですが・・・。

妻夫木聡が、さえない土方仕事をしている地方青年。北九州の都会に出ては、社会人に成り立ての柄本の娘とセックスをするために通う日々。適当にあしらわれているとも知らずに、愚直な役柄。それ以上に、男縁のない紳士服売り場の定員である深津絵里が、ある合コンで灯台の話で盛り上がったことから、連絡を取ってみたのが、ちょうど、妻夫木が、その遊ばれているとも知らずの娘をあやまって殺してしまった直後だったわけです。

そこから、逃げるのか、警察に行くのか、確かに、ある地方、特に、出会いといったものが頻繁にあるわけではなさそうな、寂寥感漂う風景のなかに青年時代が埋没してしまうようところに起こった非日常の「事件」の描き方は、印象的ではあります。起こりそうにないようで、殺人事件とはこうして起こるのだろうというリアリティが強く感じられたのです。満島ひかりが演じるその娘は、床屋をやっている地味な柄本の娘にしては少し積極的な感じのキャラクターですが、岡田将生演じる大学生に惚れ込んでしまい、ノーガード、軽率に遊んでもらおうとしたところをしっぺ返し、完全に、相手にされず、山中で強引に車を降ろされてしまうほど惨めな目に遭ってしまう訳です。

妻夫木が殺したとは言い切れないところに、この事件の難しさがあり、また、母の余貴美子になりかわって母親代わりで育ててきた樹木は、妻夫木を信じ、守ってやろうとするのと比例するように、その怒りの矛先は、妻夫木ではなく、岡田に向かう柄本。この二人の演技力に問題はありません。ただ、特段、みるべきところがある作品ではないので、劇場まで行けなくて正解でした。

http://www.akunin.jp/index.html
公式サイト

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銭形平次

1951年4月(製作=大映京都)の作品です。企画は清川峰輔、監督は森一生、脚色は冬島泰三、原作は野村胡堂です。邦画指定席より。

銭形平次がシリーズ化していく際の初期作品。長谷川一夫のべらんめえ口調が久しぶり。三条美紀は、頭目の娘。男嫌いで通す芸者ですが、平次にはちょっとその気。その惑わしをさらりとすり抜け、犯人逮捕に奔走する平次、器用に演じ長谷川。捕り物帳のオーソドックスという感じ。 頭目は香川良助。仲間割れが発端でで生じた殺人。次々に人が死んでいく。それは盗んだ獲物の取り分をめぐって。

しかし、三条が少しずつ長谷川に魅せられていき、一方で、妻役の長谷川裕見子も気が気じゃありませんが、色気にはめっぽう強いのが平次。うまく情報を引き出して、捕縛まで遂行します。それを手助けするというか、ずっこけ役がガラッ八(佐々木小二郎)。いい味を出しています。

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銀座カンカン娘

1949年8月(製作=新東宝、配給=東宝)の作品です。製作は青柳信雄、監督は島耕二、脚本は山本嘉次郎・中田晴康です。

「カンカン娘~♪」という歌はとても有名です。流行る契機になったのがこの映画。見ていませんでした。新東宝ができたばかりの頃。高峰秀子の安定した演技。笠置シヅ子の抜群の歌唱力。しかし、映画は決して面白くありませんでした。残念。なぜ、流行ったのか。演出もそんなにすぐれているわけではありません。戦後の銀座。絵描きを目指す高峰と、うだつの上がらない笠置。二人も借家住まい。一家の主は古今亭志ん生。当然といえば当然ですが、落語ばかりして、働いているようには思えません。

むしろ、サラリーマンをしている灰原勝彦が息子として稼ぎ頭となっています。彼は、会社で合唱サークルをしていて、1949年にしては、とても、戦後の新風の明るさを強調しています。重要なのは、志ん生の妻を演じる浦辺粂子。期待を裏切らない、回りくどい演技が、妙味!

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悪霊島

1981年10月(製作=角川春樹事務所、配給=東映=日本ヘラルド映画)の作品です。製作は角川春樹、プロデュサーは橋本新一・飯泉征吉、監督は篠田正浩、脚本は清水邦夫、原作は横溝正史 、撮影は宮川一夫です。

久しぶりに映画記。横溝正史は、この作品の公開直後、亡くなっているようです。主演は、鹿賀丈史。金田一といえば、石坂浩二か古谷一行。とはいえ、ザッツ角川映画のキャスティング。鹿賀はまだデビューしてそんなに時間が経っていないのではないでしょうか。相棒となる磯川刑事には、室田日出男、そして、時代の若者を代表するように事件に絡んでくるキーパーソンに古尾谷雅人。そして、瀬戸内の刑部島と呼ばれた孤島で一人二役の姉妹を演じるのが岩下志麻。これには驚きました。しかし、監督が篠田正浩と知って、がっかり。 所詮、いい映画は撮れないのが篠田なので、五社英雄や、それに続く、山下耕作、中島貞夫の方が適材な気がします。

それはさておき、刑部島では次々に殺人事件が起こります。金田一は、この島の出身でアメリカにわたり大金持ちになった伊丹十三に頼まれ、人を捜しに来たのですが、すでに、名物産婆が殺されたということで、室田がやってきていました。船でヒッピー風に旅を続ける古尾谷と同乗した金田一は、この産婆殺しから始まる連続殺人に巻き込まれ、謎を解いていくという展開。この産婆を殺したのは誰か。自分が貰われた子であり、取り上げた産婆がこの産婆であることを知った古尾谷はこの島に来ていたのですが、訪れた時には彼女は死んでおり、疑われます。古尾谷は自分が生まれた日に子どもを生んでいる岩下が母親だと思い込みます。しかし、違うのです。そこにはさらに知られざる事実が。



岩下は、刑部事件で若いころ、伊丹と逢引を重ねており、子どもを産んでいたのです。しかし、島の有力者である、佐分利信に無理やりその中を引き裂かれ、中尾彬と一緒になっていたのです。その時のショックで、二重人格になってしまったのですが、実際に双生児であった岩下は、姉と妹を演じ、その狂気をカモフラージュしていたのです。ただ、伊丹が戻ってきて、再び、情が燃え上がります。金田一が捜していた男は殺され、また、中尾も殺されます。古尾谷は真っ先に疑われますが、犯人は、不遇の岩下だったという訳です。その殺人を手助けすのが、使用人風の石橋蓮司、彼もまた殺されます。

その他にも、中島ゆたか、宮下順子、草間正吾、浜村純、そして、岸本加世子といった脇役が登場。非常に、豪華。最後は、自分の生んだ双生児の遺骨を大事に隠し持っていた岩下も、洞穴に落ちて、死んでしまいます。 この隠された島の暗部を何とかして覆い隠そうとしていた佐分利は、隠しきれなかったという訳です。

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朝鮮の子

1954年(製作:朝鮮の子制作委員会/在日朝鮮人学校PTA全国連合会、在日朝鮮人教育者同盟、在日朝鮮映画人集団)の作品です。後援は日本子供を守る会、平和擁護日本委員会です。ようやく観ることができました。在日朝鮮映画人集団は1953年に結成され、、在日本朝鮮文学芸術家同盟映画部(1959年)、現在の総聯映画製作所(1974年に引き継がれているようです。

枝川町の朝鮮学校。現在の東京朝鮮第二初級学校を舞台に、そこに通う朝鮮人児童の姿を描いています。最初の字幕では「この映画は朝鮮人学校の子供たちが綴った生活記録です」とされています。東京都教育委員会といろいろな問題があったが、という前置きから始まり、いまはそのわだかまりも消え、日朝両国関係の正常化と交流の発展に資する目的で製作されたのだとしています。30分の短い作品です。当時の教育実践の様子が映された貴重な映画です。映倫の文字も入っていますから、完全な自主映画でないことも驚印象的です。。

東京都立第二朝鮮人学校時代の朝鮮学校に通う児童たちの楽しさ、つらさを活写しており、阪神教育闘争に触れたシーンもあります。ある児童が作文「思い出」を読み上げるところでは、友だちを家に連れてきたところでハルモニとオモニの会話が映し出され、「朝鮮人だったの」と言われうつむくシーンが印象的です。



さらに、札幌朝鮮初等学院、福岡筑豊朝鮮人学校の姿も映し出されます。積雪、ボタ山など。枝川の不良住宅も捉えられ、在日朝鮮統一民主戦線の時代であり、その名前も刻まれています。武装闘争路線を共産党が展開していた時代。徐々にその路線はトーンダウンしていく頃ではあるものの、民戦が半非合法集団として弾圧されていたのには変わりありません。祖国への愛。奪われた言葉を取り戻す。帰国に備えるという目的。これらは明示的です。

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