街歩き+喫茶(時々映画)

差別論研究会から、新たに街歩きBlogへ

音楽

都はるみ@京都会館

さて、ようやく、直に都はるみの歌声を聴くことができました。1948年、京都の西陣の作庵町の出身。バックバンドの閻魔堂とともに、身体に優しいコンサートだったように思います。京都会館。ほとんどは年配の方が多く、早速、ステージが降り立ち握手しながら、「はるみの三度笠」を唄い続けることができるというのは、すごいなと感心させられたものです。

星野哲郎、市川昭介、そして、阿久悠といった名前が出され、曲にまつわるエピソードなども交えながら、その小さな身体から、機織りを傍に母親に訓練させられたといううねりの利いた喉を響かせていました。何度も唄って複雑な心境になったという「北の宿から」はもちろん、「涙の連絡船」「大阪しぐれ」「千年の古都」「ムカシ」「アラ見てたのね」「邪宗門」「アンコ椿は恋の花」といった感じで、名曲の数々を堪能させてもらいました。

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(Y)

顔のない街の中で(中島みゆき)

 我々はある種の社会的属性から免れることはできない。そこには常に権力関係がある。自分は弱い立場にいると思っていても、違う場面においては強者となって「見知らぬ人」の足を踏んでいるのかもしれない。

 社会には、世界には、様々な人々が暮らしている。中島みゆき『顔のない街の中で』は、社会的属性に惑わされることなく、「その人の顔を真っ直ぐに見ろ。その人の暮らしを真っ直ぐに見ろ」と問いかける。少なくとも「想起せよ」という呼びかけだ。

 これは、差別論を考えていく基本的な姿勢ではないかと思う。この曲に、想像力を喚起する画像をつけてくれたアップロード者に感謝したい。

(K)


▼顔のない街の中で





▼沒有臉孔的城市(中文字幕)

千羽鶴(1953)

1953年1月(大映東京)の作品です。監督は吉村公三郎、脚本は新藤兼人、原作は川端康成、撮影は宮川一夫です。

さて、どこかで見た始まり方だと思い、もしやと思い調べてみるとやはり。増村保造によるリメイクで、若尾文子×京マチ子の間で揺れる平幹二郎というキャストで見覚えがあったのでした。この時も、脚本は新藤でした。父親の愛人たちの間で揺れる紳士に森雅之。はまっています。これに対して、何かと家にやってきては世話を焼こうとする茶の師匠をしている愛人に杉村春子。一方でもいつまでも子どもっけが抜けない愛人に小暮実千代。娘に乙羽信子。北鎌倉で催されたお茶会に呼ばれた小暮。そこで杉村がセッティングした見合いも兼ねてやってきた森に再会した木暮は、そこに父親の面影を強く見てしまい、それ以来、会わずにはいられず、ついつい足が森の方に向いてしまうのです。

その性格をよく知っている乙羽は、なんとかそれをなだめ制止し、ときには森にも会わないようにと願い出るほど。木暮の目つきは確かに尋常ではありません。この二人は徐々に接近していってしまいます。どこか、優柔不断で強気なところがみられない風見鶏的なところが森にはあり、それは父親の清水将夫も同じだったのかもしれません。戦時中の空襲の中で、なつかなかった乙羽が突然慕うようになり、杉村の泣きのすがりに一定の誠意を見せながら、最後は、小暮を優先したため、刃傷沙汰にまで発展していました。この女だけは許さない。そんな執念を煮えたぎらせながら、自分の思い通りに森を結婚させたい杉村はしつこく、衛生的に森の周囲を飛び回ります。



もちろん、鬱陶しい森ですが、小暮との接触は把握されています。久しく使っていなかった茶室で相対した時。もう二度と会わないことを誓っていたにもかかわらず、その懐にすがり、それでも、あたなは私に父を見ているだけだとという若干の苛立ちを森に言われたとき、木暮の繊細で純粋な心は大きく傷つき、自分を苛むことしかできなくなっていくのです。そして、自ら自分の命を絶ち、自分のどうしようもない生き方にケリを付けるのです。決して動じない娘の乙羽。親類縁者もありません。清水からもらったという茶碗を形見として森に預け、森が何かと面倒を見ようとしますが、それを断り、ひとりで生きていくと実に逞しい女性。親子はまったく正反対。

一方、その茶碗を見て、忌々しいと感じている杉村は、庭石に投げつけ、その茶碗を粉砕し、笑みを浮かべ、徹底した女の女に対する復讐心の強さを見せつけるのです。あー、恐い。乙羽がまだ可愛らしく、見合の相手に木村三津子、その父親に進藤英太郎。森の屋敷を高値で売って清算しようと手助けする老人に菅井一郎。家を見に来る中年夫婦に殿山泰司など、御馴染のキャストがみれます。鎌倉……また、行く機会があればいいのですが。

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(Y)

夜の鼓

1958年4月(製作=現代ぷろだくしょん、配給=松竹)の作品です。製作は山田典吾、監督は今井正、脚本は橋本忍・新藤兼人、原作は「堀川波の鼓」近松門左衛門です。

因幡の国、鳥取藩に1年2か月ぶりに参勤交代の役目から帰ってきた三國連太郎。妻は美目麗しい有馬稲子。まだ下っ端武士なので、お役目に忙しく、夫婦の仲を温まる時間も暇もありません。それでも、有馬の献身的な妻ぶりはまさに武家たらんものでした…。しかし、三國が妻の顔を見るのを楽しみに帰ってくると、周囲の雰囲気がどうもぎくしゃくしていることに気付きます。それは、有馬が、夫のいない間に、別の男を作って慰められていたというようなもの。妻を信じようとする三國は、有馬の言葉に疑いを持とうとしないようにしてきました。

それでも、叔父の東野英治郎、同僚の殿山泰司、親類の加藤嘉など、あらぬ噂でお家が取り潰しにでもあったら困ると、親族会議を重ねます。身近にいた女中にも事情聴取を行い、最も怪しいと思われた鼓の師としてしばしば同家を訪れていた森雅之とは、何もなかったということで落着しかけます。ところが、別の容疑者が浮かび上がってきます。それが、金子信雄。以前から、有馬に目を付け、夫のいない間にと、激しく迫ってきます。刀まで突き付けられた有馬は、いやいや、首を縦に振りつつ、その要望を受け入れかけるのですが、挨拶に来ていた森が、機転を利かせ、急場を凌ぐことができるのです。こうなると、何もなかったとはいえ、金子に責があります。それを知った三國は金子を責め立てます、意外な事実が再浮上します。



それがまた森だったというわけです。金子とのやりとりを聞かれてしまった有馬は、それを口外してくれるなと盃を求める。ほろ酔い気分にタガが外れて、金子が口説き文句の一つとして使った三國のお役目の延長を耐えきる自信が折れて、目の前にいる森の懐に自ら飛び込んでいってしまうのです。そんなつもりがなかったどうかは分かりませんが、とりあえず、素振りは見せていなかった森も、自分の教え子の母親である有馬の寂しさに、男としてスルーすることができなかったのです。結果的に、三國は妻に騙され続けていた訳で、周囲もこれはそのままにしておくことはできず、有馬に武家の女らしく自害を求めるのです。

手を震わせながら短刀を自らの胸に突き刺そうとするがなかなかできないでいる有馬。無念さを隠しきれない様子ですが、思いきってと促す三國。しかし、やはりできない。うなだれる有馬に、すかさず刀を振り下ろす三國。さすがに、この一瞬の展開に唖然としました。さらに、堀川下立売に住む森のところに向かう三國ら。妻を処断しただけでは済まされません。公儀の許しを得て、血気盛んに祇園祭で賑わう京都に乗り込み、森を一突き。倒れ込んだ森に次から次と、突き刺す。尋常じゃない私怨です。すべてが発覚したとき、思わず三國が有馬を平手打ちにしますが、これがあの有名なシーンかと思い、ハッとしました。



今井正の作品を見直して改めて思ったのは、その幅のひろさです。共産党系の映画人としてみられてしまうことで、その面白さはだいぶ現代において減じられてしまっているように思えます。ここまで、社会と人間の深見に入り込もうとした左翼映画人だとは……追究のし甲斐があります。

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(Y)

四十八歳の抵抗

1956年11月(大映東京)の作品です。製作は永田雅一、企画は川崎治雄、監督は吉村公三郎、脚本は新藤兼人は、原作は石川達三です。

川口浩と若尾文子のキスシーンから始まり、若尾の着替えのシーンは、おそらく当時にとっては相当に刺激があったと思います。母親の声で、すぐに杉村春子だと分かります。その夫、48歳の誕生日を迎えたことも忘れているのは山村聡。サラリーマン。日常生活に慰安はない。ロマンスグレーも流行りだと娘に言われつつ、バカバカしいと一蹴する妻に促されて、散髪。帰りに、文藝春秋を手に取ってみる。そこにちんどん屋が通る。通勤列車の中では、娘と同級生だった会社の女性社員である小野道子と、結婚について語る。その一部始終を見ていたのは、船越英二。昭和火災の火災保険部。

彼らは、慰安旅行に出かけます。課長の石黒達也は、次長の山村聡にヌード写真の撮影会に誘ったりして誘惑。それさえも、見越して、すべてを自分に任せて48歳の今、羽目を外すことを覚えたほうがいいと指南。その誘いに、言われるがまま、熱海の温泉場で早速、飲み屋に誘われ、その延長線上で、東京に帰ってもたじろぐほどの遊びを教えられるのです。行きつけのバーで知り合った19歳の娘。それが雪村いづみ。婆さんと二人暮らし。唄もうまい彼女に惹かれ、いつかし馴染みになるにつれて、心を寄せるようになってしまうのです。一方、年甲斐もない自分の行為を棚に上げて、19歳の学生と恋におち、ことごとく見合いを断る娘の若尾の行動には一切理解を示しません。



その学生が川口であり、姉が小野道子という訳です。姉弟だけで暮らしてきた二人。小野はいたってしっかりしている女性で、若尾の気持ちが本気であることを切々と山村に伝えます。また、川口も真面目な学生であり、彼らが本気であることを理解していました。それを、世間の風体がどうとかで絶対に認めようとしない山村。一方、自分は、船越の甘言にどんどんとのめり込んでいき、保険に加入していた熱海の旅館が全焼したというので視察ついでに雪村を誘い、二人旅行。そこで、いろいろちょっかいを出すだけでなく、抱きつき、強引にものにしようとするのですが、極めて純真な雪村に拒絶され、はたと、ようやく我に帰るのです。

自分の行為を反省し、家出までして自分たちの覚悟を示した若尾と川口の気持ちを認めてやることにするのです。電気洗濯機を勝手に買って怒られ、何かと口論が絶えない杉村も、娘の門出にようやくほっと肩をなでおろすことができたのです。それは、頑なに容認しない山村に愚痴られた小野も一緒。ところで、船越はというと、どうやら一流企業の御曹子で、保険会社を辞めて、父親の会社に重役として転職。まったく、あの飄々とした立ち回りが今夜も都会のどこかでフラヌールしていると思うと、まったく、笑えてきます。まさに、中年の心のスキマに巧妙に立ち入ってくるところは喪黒福造そのものです。

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(Y)

高橋竹山

先日、新藤兼人の『竹山ひとり旅』をみてぜひ入手しようとした竹山作品ですが、とりあえず、『津軽の響き』を聴いてみることにしました。なんというか、リズムにしろ音色にしろ大変心地よいものがあります。

曲目は以下。
1. 津軽よされ節
2. 津軽音頭
3. 津軽じょんから節
4. 即興曲「岩木」
5. 津軽あいや節
6. 津軽じょんから節(中節)
7. 津軽よされ節
8. 津軽音頭
9. 三味線じょんから
10. 即興曲「岩木」



高橋竹山については以下のページが参考になります。

■高橋竹山・資料室
http://tikuyu-shamisen.com/tikuzan.htm

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(Y)

藤圭子

藤圭子の『伝説の名曲』が届き、ようやく「圭子節」を堪能できます。「怨歌」といわれたその歌・歌声も今ではあまり参照されませんし、最近の軽過ぎる「J?POP」にはあり得ませんが、(だからこそ)人間の業が濃厚に表出しています。

曲目は以下。
1. 新宿の女(おんな)
2. 女のブルース
3. 圭子の夢は夜ひらく
4. 命預けます
5. 女は恋に生きてゆく
6. さいはての女
7. 恋仁義
8. みちのく小唄
9. 知らない町で
10. 遍歴
11. 命火(いのちび)
12. 哀愁酒場
13. 生命(いのち)ぎりぎり
14. ネオン街(まち)の女
15. 圭子の網走番外地
16. 東京流れもの

「女」「圭子」(固有名詞)「非定住」「孤独」などがその特徴を現す言葉として浮かびます。「圭子の網走番外地」は高倉健に負けず劣らずの名調子です。

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(Y)

ちあきなおみ

「喝采」を聴いて改めていい曲だなぁと思い、レンタルしたのですが、とりあえず『ちあきなおみ全曲集?黄昏のビギン?』しかなかったので妥協しました。阿久悠だけでなく、平尾昌晃も最も再び唄って欲しい歌い手としてその名をあげるちあきなおみ。モノマネから入ってしまっている私の世代にとってはその出会いは逆に劇的なものです。

本アルバムに収録されている曲は以下。
 1. 黄昏のビギン
 2. かもめの街
 3. 星影の小径
 4. 喝采
 5. 伝わりますか
 6. 男駅・女駅
 7. イマージュ
 8. 冬隣
 9. 矢切の渡し
 10. 紅とんぼ
 11. 君知らず
 12. 逢いたかったぜ
 13. さだめ川
 14. 男の友情
 15. 雨降る街角
 16. 歳月河

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(Y)

阿久悠の言葉

身に染みます。

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'70年代は「新しい」という言葉に魅力があった。人がまだ手をつけてないことを見つけ、そこに楽しみを探してみようという気分。なになにみたいですね、と言われることが最大の侮辱だった時代に、同じ意欲を持った仲間と知恵を出し合い、互いの顔を見ながら盛り上がる高揚感。そんな仕事が楽しかった。しかし、'80年代以降、いつしか効率という言葉が幅を利かせるようになり、CDが200万枚売れた、300万枚売れたという割にはお祭りにならない。人の脳のなかの何かを刺激できなくなってしまった。社会のシステムが人間の知恵や能力、さらには気持ちのいい欲求に勝ってしまったのかもしれない。だからこそ、私たちは今、心のなかのちょっとした余裕、遊び心や愛情といった、人間が本来持っているはずのエネルギーを再び高めていかなくてはいけない。私はそう考える。                         

阿久悠
(Extime2007, October, vol.1, p.3)

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「なになにみたいですね、と言われることが最大の侮辱だった時代」というのがなんとも共感できます。「人間が本来持っているはずのエネルギーを再び高めていかなくてはいけない」とは、まったくその通りです。

(Y)

「都はるみ」という人

阿久悠追悼シンポに向けて都はるみについて書かれたものに一通り目を通してみました。

 ◇中上健次「天の歌――小説・都はるみ」(サンデー毎日1987年4月12日号?10月11日号→1987、毎日新聞社)
 ◇大下英治「小説・都はるみ――炎のごとく」(1991、徳間書店)
 ◇有田芳生「歌屋・都はるみ」(1994、講談社→1997、文藝春秋)
 ◇五木寛之/都はるみ「長い旅の始まり」(2003、東京書籍)

一番よくまとまっているのはやはりジャーナリストである有田芳生の書いた本でしょう。親友のような付き合いをしていた中上の小説は意外に面白くありませんでしたが、新宮の被差別部落出身でありそのことを小説家としても強く意識していた中上が、都はるみに自身の出自についてより自覚的であることを促していたことは興味深い点です。

また、都はるみは歌手になるために英才教育を受け、それを強く望んだ母親は浪曲を非常に好みはるみ独特の「唸り」を教えこんでいたこと。「アンコ椿は恋の歌」でレコード大賞新人賞をとった時に既に父親の国籍(韓国籍)のことがマスコミに記事にされていたこと。都はるみの「差別体験」とはそのときがはじめてであったことなど、考えさせられる点ばかりです。



西陣の機織の職人の家の長女として育った北村春美。その恩師は市川昭介と星野哲郎。都はるみの転機となった「北の宿から」を作った阿久悠・小林亜星とは一定の距離がありそうです。以下の写真は北村春美が通った学校と近所の遊び場であった寺です。阿久悠繋がりという点では鶴橋出身の和田アキ子との比較も気になるところですが、少なくなった差別と芸能を考える作業を今後も続けていきたいところです。

 ■乾隆小学校            ■嘉楽中学校            ■千本えんま堂
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